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後編:“スポーツ万能”な母、“脳性まひ”の息子

後編:“スポーツ万能”な母、“脳性まひ”の息子 WE

(2017.06.01)

高校生となり思春期となった私は、登校拒否をし母を悩ませたのを覚えています。
みんなと同じことが出来ないことに劣等感を覚え、性格もどこか内向きになっていきました。

今でも後悔しているのがドクターストップが出て、高校1年生の時、硬式野球部を辞めないといけなくなった時のことです。

母がお昼にチャーハンを作ってくれました。それが机に置かれた瞬間、
「なんでこんな身体に産んだんだ!バカヤロー!」
とお皿をひっくり返したのです。

その時の母の虚しそうな顔は、一生忘れません。

その時のことを収録で聞くと、いつかそんな日は来ると覚悟していたから大丈夫だった(笑)と母の強心臓には驚かされました。

(この時期、自分の障がいを受け入れられず、全否定していた時期なので、写真がありません。)

そして高校三年生の時に足の手術で4ヶ月間入院しました。

通常、脳性まひの子は生まれて間も無く足の腱を伸ばす手術をします。
しかし、両親は、スポーツをしていた経験から、幼い時期にメスを入れるのは良くないと、手術に断固反対しました。

医者の意見よりも、自分たちの経験を選びました。

そして体格も大人になった18歳の時に、手術を受ける決断をしました。

ここでも人生を変える出会いがありました。
アウトローの主治医に出会えたことです。

通常、脳性まひ患者のリハビリ時間は1日に50分と決められていました。それ以上は、身体的にも負担があるというマニュアルでした。
「僕は、どんなに辛いリハビリにも耐える。それは今まで健常者に混じってキツい野球の練習を乗り越えてきたから。だから特別メニューを作ってください。」
と懇願しました。アウトローの主治医は、まず、足上げを1000回など、1日に12時間以上使わないとこなせない特別メニューを作ってくれました。無茶苦茶です(笑)

マニュアル通りやりなさいと怒る看護師長さんと何度もぶつかりました。

それでも、足が劇的に良くなっていきました。

あまりに動くから、病室に監禁されそうになって、枕で寝たふり人形を作って逃げ出してリハビリしたり(笑)、入院も後半になってくると、1km以上歩けるようになり、私はさらにやる気にしました。
今まで私の中で歩くという概念は、 30mくらいだったからです。それが1km、2kmと楽に歩けるようになって嬉しくてテンションが上がって、歩きすぎて迷ってしまい病院に戻れなくなり、失踪してしまった時は、さすがに母が慌てて病院に頭を下げてくれていました(笑)

すべてのリハビリが終え退院した時に、足に装具を履き、私は人生で初めてバッティングセンターに母を誘いました。
しっかり地面を踏み込めるようになった足でバットを思い切り振ったら、今まで一度も当たったことのないホームランボードに力強い打球が当たったんです。

親子で本当に4ヶ月間頑張ってよかったねと嬉し涙を流したのを覚えています。

その時、不覚にも人生で初めて母とハイタッチをしてしまいました(笑)

(写真:足が回復し、野球を楽しむ寺田)



関西の大学へ通うために実家を離れ、一人暮らしを始めました。

足が良くなったし、キャンパスライフを満喫できる!と期待に胸を膨らませておりました。しかし、現実はそう甘くありませんでした。

広い敷地のキャンパスライフを満喫できるほど足は、良くなっておりませんでした。
奇跡的な回復を見せました。しかし、奇跡的な回復をしたところで健常者の”足”には遠く及びませんでした。

同時期に野球で肩を痛めてしまいました。長年、手の力だけで力いっぱい投げる変な投げ方で投げていたツケが回ってきたのです。
野球が出来なくなってしまいました。

4ヶ月間、いや1年以上、ずっとリハビリをしてきたのに。

野球が唯一のコミュニケーション手段だったのに。

それが奪われてしまった。

人生がどうでも良くなってしまいました。授業にもろくに行かず、パチンコに通う日々。屍のような毎日でした。

そんな姿を見かねた母から、「車イスに乗ってみたら?」と言われました。

最初は断りました。それに乗ってしまったら、僕はもっとみんなと違う世界の住人になってしまう。そんな不安がありました。

しかし、今のダメな自分を抜け出すには、選択肢はありませんでした。

驚きました。

車イスに乗ったら人生が変わりました。

車イスはまるで、「かぼちゃの馬車」のようで私の価値観の全てを変えていきました。どこにでも行ける!歩きながらおしゃべりも出来る!歩き方でバカにされない!

止まっていた人生が動き出しました。 私は、車イスに乗ってから極めて明るい性格になり、社交的になれたのです!

(写真:社交的になった寺田)


そして卒業後、車イス芸人となり車イスホストとなりました。
この部分を話すと長くなるので(笑)この場では割愛させていただきます。

そしてこの4月から、道行く人たちに「ちょっと車イスを押してください」と言って進む、HELPUSHプロジェクト 車イスヒッチハイクの旅で、日本全国を廻ります。
車イスを使用していますが、手すりを捕まれば階段を登れます。

ある日、駅員さんに10m先にある階段を登りたいので車イスを運ぶのを手伝ってくださいと頼んだら、そこは駅の管轄の範囲外なので手伝えませんと言われました。
虚しく友人に愚痴をこぼしたら、「そんなの道行く人にちょっと助けて貰えば良かったじゃん!」と言われた経験から、「ちょっと助けて」と言えない自分に気がつきました。

それと同時に障がいを持って生きることで、親しい人になれば、ちょっと助けてもらうのが当たり前となり、感謝の気持ちが薄まっていたことに気がつきました。

今回の母との収録で改めて気がついたことは、私の人生のいかなる時も、父が、母が、家族が私の困難な挑戦に対し、常に「後押し」してくれていたことでした。

両親は私にとって「ヒーロー」でした。

そして両親以外にも、私の周りには、笑顔で後押ししてくれるヒーローがたくさんいました。

このHELPUSHプロジェクトを通して、全国のヒーローたちの力をお借りして、
以前からの夢であった日本全国への旅をします。
「夢」を追えること、そして「感謝」を感じる旅を目指したいと思います。

(写真:HELPUSHプロジェクト キックオフ会)



渋谷のラジオ「1億総笑える部」 1周年記念放送回 特別ゲスト 母
という機会のおかげで私の人生は、ひとりで歩んでいるのではないと、改めて気がつくことができました。

そして、私の唯一の親孝行は、息子を信じ、医者の言うことも聞かず、独自の育て方をしてくれた両親へ、父さん、母さんの育て方は、決して間違いじゃなかったんだよと、自分の道を進んで証明することです。

無事に1周年を迎えた「1億総笑える部」


昨年はスタッフ、ゲスト、リスナーの皆様に、ちょっと助けて貰ってばかりでした。
今年はスタッフ、ゲスト、リスナーの皆様に、「一緒に番組作ってて良かったな。出演して良かったな。聴いて良かったな。」ともっとたくさん思っていただけるよう頑張ります。

そして、「障害も性別も年齢も病気もぶっ飛ばして笑っちゃえ!」

他のラジオでは絶対に聴けない、誰でも自然と笑い合える、ユニバーサルトークで毎回楽しい放送をお届けしたいです!

長い記事を読んでいただき、ありがとうございます!

寺田ユースケ
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